日本を回ってわかったヒッチハイクのコツまとめ
みなさんこんにちわ。ヒッチハイカーのトガアキです。
この記事を読んでおられるということは、ヒッチハイクをしてみたいと思っている方だと思います。
今回はぼくが東日本1周した時の経験からヒッチハイクのコツをできるだけ詳しくお伝えできればいいかなと思います。
1.ヒッチハイクとはなんぞや?
ヒッチハイク(英語: Hitch hike)とは、通りがかりの自動車に(無料で)乗せてもらうこと。この方法で旅することをヒッチハイキング(Hitchhiking)、旅行者はヒッチハイカー(Hitch hiker)と呼ばれる。
スケッチブックやホワイトボードに行き先を書いて、運転者にアピールをして行きたい場所まで乗せてもらうということですね。
スケッチブックでやるという人が多いんですがぼくはホワイトボードでやりました。
ヒッチハイクで実際にどんなとこに行ったの?って人はこちらもチェックしてみてください
ヒッチハイクで必要な持ち物
必要となるものは
1、マジックペン
2、スケッチブック又はホワイトボード
3、気持ち
1、のマジックペンはホワイトボードの場合は専用のペンがボードについている場合がほとんどです。ぼくが使っていたものは付属品としてついていました。
書く時は太くドライバーの人から見えやすいように書きましょう。
2、スケッチブックを使用するのが一般的なのかなと思います。また、ホワイトボードはドンキホーテに行けば置いてあります。
ヒッチハイクをするメリット
1、交通費がかからない
2、コミュニケーション能力が上がる
3、たくさんの人に会える
4、全国各地に居場所が形成される
交通費がかからない
コミュニケーション能力が上がる
ヒッチハイクをやっていると会うのはもちろん初めての人ばかりです。
その状況で車中ずっと喋っているわけですからおのずとコミュニケーション能力は上がります。ヒッチハイクの一番の醍醐味はやっぱり出会いなので楽しみながら会話できるとより一層良いヒッチハイクになるでしょう。
たくさんの人に会える
これもヒッチハイクならではだと思うんですけど、普段生活していたら会えないような人と会う機会があります。
まず、ぼくはヒッチハイクをするまで一回も福井県より北の県にいったことがなかったので会う人全員が刺激的でした(方言とかものすごい)。
どんな人に乗せてきてもらったかというと、80歳の自営業してるおじいちゃん、東京の社長、ピチピチギャルなどなどあげるときりがないです。
いろいろなタイプの人に会うので、話の幅が広がります。
全国各地に居場所が形成される
ヒッチハイクをしていると、たくさんの方に会って時には飲みに連れて行ってもらうこともありました。
そこの土地で会った人と繋がっていくことで全国各地に居場所ができるというのもヒッチハイクで日本を回ったからこそでした。
どんな場所でヒッチハイクするの?
1、高速のサービスエリア
2、国道沿いのコンビニ
3、IC(インターチェンジ)の前
ぼくは主にこの3箇所が一番ヒッチハイクが成功しやすいと思いますね。
高速のサービスエリア
高速では長距離移動ができるのが大きなメリットですね。
話を聞いたドライバーさんでヒッチハイカーを乗せて一番走ったのは青森〜福岡間だそうです。笑
高速のサービスエリアでは下のグーグルマップでやりやすい場所を解説します。
星のマークが付いているところはどの車でも目に止まる位置です。
この写真でいうと、上の方でヒッチハイクをするとトイレなどの近くに止めている車にしかスケッチブックをアピールすることができません。
どの車にも見えるように合流地点の最後(写真の星)でヒッチハイクしましょう。
国道沿いのコンビニ
国道沿いと書きましたが別に国道沿いじゃなくてもいいです。
とにかく下道で行く場合人が止まりやすいところでやる必要があります。
信号が近くにあるコンビニも少なくないですし、コンビニよりやりやすそうな場所を地元の方が教えてくれる場合もあるのでとてもいい場所です。
コンビニでは直接降りてきた人に声をかけることもできるのでやりやすいです。
高速のIC(インターチェンジ)前
ヒッチハイクで目的地に着くまでにかかる時間
本ブログ→laghandpeace.com
ヒッチハイク旅総集編
どもトガアキです。
昨日約3週間ぶりに島根に帰ってきまして、3週間という短い時間だったんですがものすごく久しぶりな感覚でした。
旅に出て、たくさんの方に出会ってお世話になった3週間。振り返って行きます。
島根〜滋賀編
少しヒッチハイクのボードをあげるのも恥ずかしがっていた出発時。
2人の姉妹に乗せてもらった所から始まったヒッチハイク旅でした。
合計4組に乗せてもらって鳥取までたどり着いた1日目でしたね。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク1日目【島根〜鳥取】初ヒッチはまさかの
2日目は一台の車で一気に京都まで行くことができ、シェアハウスに泊まって順調な2日目でした。
3日目は滋賀の琵琶湖を半周する形で彦根まで進んだ3日目でした。2台の車に乗せていただき滋賀ならではの料理をいただいたのが印象的ですね。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク3日目【京都〜滋賀】GIVEされすぎた
4日目は最終的に近畿地方を飛び出し福井県に足を踏み入れ、行ったことのない県に不安と期待に胸を膨らませていました。
乗せていただいた車は3台
詳細→東日本縦断ヒッチハイク4日目【滋賀〜福井】#4 後半怒涛の巻き返し
福井〜青森編
福井県から全く足を踏み入れたことのない県なんですが、たくさんの方にお世話になって青森までたどり着くことができました。
福井県から石川県までは1台で一気に行きました。ドライバーの方の話を聞いていて面白い人がいるもんだと思った1日。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク5日目【福井〜石川】#5 楽しむおっちゃん
石川県のゲストハウスでまさかの一人だけの宿泊でホストのかたを独り占めにしちゃいましたね。
兼六園を散策してヒッチハイクをして女の子とお花畑にいるという不思議な状態になり、なんとか富山県に到着
詳細→東日本縦断ヒッチハイク6日目【石川〜富山】#6 思わぬ展開に、、、
富山県に入って初めての野宿でカバンに糞をつけられてもうガソリンスタンドの裏では野宿しないと誓った1日。車に乗せてもらうのに一番時間がかかった富山県でしたがなんとか新潟県に到着
詳細→東日本縦断ヒッチハイク7日目【富山〜新潟】#7 祝!初めての野宿
新潟県から山形を通過して秋田県に入り象潟のパーキングエリアで初めて旅人に遭遇した1日でした。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク8日目【新潟〜山形〜秋田】#8 旅人に遭遇
そして秋田県から青森県に突入して、青森県では一緒に銭湯に入り、ご飯もご馳走になり寝る所のお世話までしていただいた折り返し地点。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク9日目【秋田〜青森】#9 高みへ行きました
被災地を自分の目で見た2日間
青森から折り返して、被災地を見て回った2日間。テレビでは放送されない今があった。
そこでも前向きに生きる人に触れて元気をもらった。
福岡から日本一周している同年代の旅人にも会い刺激をもらい岩手まで到着した
東日本縦断ヒッチハイク10日目【青森〜岩手】#10 ヒッチハイカー現る
東日本縦断ヒッチハイク11日目【岩手〜宮城〜福島】#11 トラック初乗り
刺激的な街東京
日本の中心である東京はいろいろな場所があり、地方にはないスポットがあった。
福島から茨城を通って東京について2日間東京に滞在
詳細→東日本縦断ヒッチハイク12日目 【岩手〜茨城〜東京】#12 首都はつらいよ
東京〜大阪
ヒッチハイカーの聖地と呼ばれる東京の用賀でヒッチハイクを始めて割とすぐヒッチハイク成功して、ヤッホーいってなって、東京の方は冷たい人間が多いって言う人多いけど、人口が多い分そりゃいろんな人がいるけど、冷たい人間だけじゃないよ
詳細→東日本縦断ヒッチハイク13日目【東京〜神奈川〜静岡〜愛知】#13 終わりが近ずく
この辺りからそろそろ法事に間に合わせなきゃって急ぎ出すわけですが、四国もせっかくだから行こうと。
三重で同じ高校の方にあった時はびっくり仰天しましたね。
詳細→東日本縦断ヒッチハイク14日目【愛知〜三重】#14 奇跡!先輩に遭遇
大阪に着く頃には四国にも行こうと決めてましたね〜
詳細→東日本縦断ヒッチハイク15日目【三重〜奈良〜大阪】#15 四国も行きますか
この頃に月間のPV数が1万を超えて、モチベーションも更に高まり始めましたね。
ラストスパート
さてさて大阪を出発してからも、まぁ割と順調に進みまして、バタバタしながらもヒッチハイクで東日本縦断しました。
でもよくよく考えたら東日本縦断ではなく東日本1周してますね。笑
詳細→東日本縦断ヒッチハイク16日目【大阪〜兵庫】#16 大ブレーキ
東日本縦断ヒッチハイク[兵庫〜徳島〜香川〜岡山】#17 アート
東日本縦断ヒッチハイク18日目【岡山〜広島】 #18 雨はつらいよ
東日本縦断ヒッチハイク最終日【広島〜島根】 #19 達成しました
東日本縦断して本当にたくさんの方にお世話になり、旅をして自分の中でやってよかったと思います。
この旅の経験も活かしながら、今後どうしていくのか考えているところです。
最後に乗せていただいたおじいさんが「羨ましいな〜」ということを言っておられました。
今の20代というのはとても大事な時期で思いっきり生きてやりたいなと思っているので振り返ったときに悔いのないように生きてやろうと思いました。
この度を通してお世話になった方にこの場を借りてもう一度お礼を言いたいと思います。
ありがとうございました!
東日本縦断ヒッチハイク最終日【広島〜島根】 #19 達成しました
どもトガアキです。
もうタイトルを見てもらったらわかるように島根県に到着しましたーー!
正直こんなに早く着くとは思わなかったですし、たくさんの人にお世話になったな〜と今旅を思い出しながらブログを書いている所です。
関連記事→東日本縦断ヒッチハイク18日目【岡山〜広島】 #18 雨はつらいよ
ヒッチハイクの友であるボードを早々に紛失
友人が会社を出るタイミングでぼくも家を8時過ぎに出発しました。
そこがなかなかの田舎でして、彼は嘆いていましたね。
ですからさすがに福山の方に少しでて、のんきにハトを見たり写真を取っていました。
この写真を撮った数分後に気づくわけですよ。
ボードがないってね。
心当たりはあったんですが、時間がもったいないということでコンビニのらくがき帳を買って代用させることに。
ちいちゃいな〜
これで島根までいけるのかと思いましたよね。なんせボードは存在感がありますけどらくがき帳には全くない。
案の定なんですけどぜんぜん車が拾えない。
ちなみに福山のサービスエリアまで歩いて行って福山SAでやってます。
10時30分くらいから始めて12時、2時と時間が過ぎていく。広島市方面の車が多いのもあるんですがそれにしても乗せてもらえない。
今日は拾えず野宿かもしれないと頭によぎった時に福岡ナンバーの車が止まった。
今日はたまたま中国道を通って福岡まで帰るということで、広島の三次まで送っていただくことに。
助かった〜
最後までどうなるかわかりませんね〜。
良く車で仕事に行かれることがあるという方で、なんと福岡から北海道まで車で行かれることがあるとのこと。しかも1度や2度じゃないということだから驚きです。
庄内という所の近くまで送っていただきそこからヒッチ再開
ありがとうございました。
下ろしてもらったのがこの場所
明らかに車の通りが少ない。
あんれ?今日はここで野宿かな〜という予感がしていたんですがなんとかヒッチハイク成功。
所要時間1時間20分くらい。
のせてくださった方は雲南市木次の方で、ついに島根に入りました。
木次までくれば、正直見慣れた風景が出てきてついにきたなと。
木次についてからはものの5分で乗せていただき、出雲市駅へ!!
そしておじいさんと会話を楽しみながら進んでついに。。。
着いたー!!
やったぞーーー!!
達成ーーーーーー
おじいさんありがとう!
今日もいっぱいお世話になりました。
これで到着したのですが、明日振り返ってまとめた記事あっぷしますね〜
今日乗せていただいた車3台
出費
尾道ラーメンセット1000円
スマイル6人
ほんならまた!!
東日本縦断ヒッチハイク18日目【岡山〜広島】 #18 雨はつらいよ
どもトガアキです。
さぁさぁ旅も終盤近ずいてきて、いろいろ思い出しながら日々過ごしております。
関連記事→東日本縦断ヒッチハイク[兵庫〜徳島〜香川〜岡山】#17 アート
旅でいろいろな所を回ってたくさんの人に出会ってそれぞれの人生があるんだな〜と思っている所です。
コメントもしていただいたりして喜んでます。
さて今日はといいますと、倉敷からのスタート。
朝8時に出発しました。
あれ、雲行きが怪しいな〜と思っていたんですが案の定雨がポツポツと降ってきて、途中から本降りに。
倉敷のコンビニで始めて、最初はトラックの運転手の方に乗せていただきました。
福山に住んでおられる方で仕事に行かれる途中ということでした。
ありがとうございました。
笹岡市のコンビニまで送っていただき、そこからが雨がひどくなり、雨で靴が濡れました。
あーこれは靴がまた臭くなるやつや〜とおもいながらヒッチハイクをやっていたんですがここで一向に捕まらない。
昼を過ぎてもなかなか成功しない中、一台の車が止まる。
「府中まで行くけど」
ありがとうございますーーーーーー
やはり何回やってもこの嬉しさは半端じゃないですね。
府中に行かれる男性といろいろお話させていただきながら近田の駅まで送っていただき近くのお好み焼き屋に。
雨の中濡れたぼくを拾っていただき感謝です^ ^
お好み焼き屋のおばちゃんが島根県出身という偶然。
いろんな地域で島根の方が頑張っているんだなーとこの旅を通して感じる。
にしても田舎ですね〜。
今日は友人の家に泊めてもらうことにしました。
いよいよ旅も残り2日となったので、明日からは一気に島根を目指したいと思います。
明日着くかもしれないですし、着かないかもしれない。
さて2日以内にたどり着くことができるのでしょうか?
乞うご期待です。
乗せていただいた車2台
出費
おにぎり250円
パン200円
スマイル6人
ほんならまた!
東日本縦断ヒッチハイク[兵庫〜徳島〜香川〜岡山】#17 アート
ども一昨日洗った靴がすでに臭いトガアキです。
昨日は垂水パーキングで夜を明かして、このままだと島根にたどり着かないかもなーと思っていたんですが、今日のぼくは違いましたよっと。
関連記事→東日本縦断ヒッチハイク16日目【大阪〜兵庫】#16 大ブレーキ
旅に出始めてから勝手に起きてしまうようになりました。とてもいいことですが、5時は早すぎますね、おじいちゃんかよ。
そこからヒッチハイクを始めたんですが、開始してから30分くらいで徳島まで釣りに行かれるという方が!!!
ありがとうございます。やっぱり何時間も捕まらなかった後に乗せていただけると、ものすごく嬉しいですね。
四国入ったーーーーーーーーー!
でっかいクロダイ釣れてるといいな〜
風呂入ってないやつの隣で笑顔いただいて恐縮です。。。
その後、鳴門のコンビニで白バイに道に出過ぎと注意されながらヒッチしていると、笑顔の女性が声をかけてくれました。
徳島の大学に通う2人の大学生に乗せてもらいながら高松を目指すことに。
本来なら道後温泉に向かっていって汚ったないこの体を洗い流そうと思っていたんですが、直島はいった方がいいということで直島に行くことに。
正直四国に行くなら直島に行きたかったのでいいんですが、フェリーしかないと。
すいません禁じ手使いました。笑
フェリー乗船です。
やっぱり直島に行きたい欲が勝ちました。
フェリーで甲板に出て風を感じながら50分。直島に上陸です。
フェリーで働くおばちゃんと仲良くさしてもらい、ジュースとお菓子の差し入れもらいました。
後3年働かれるそうなので、3年以内にもう一度直島行きます^ ^
ありがとおばちゃん!!!
あたたかいおばちゃんだったな本当に。
アートな街、直島
さて直島といえば、島全体が芸術ということで有名ですが、今回触れてきました。
ぼくに芸術的センスは皆無なのですが、見てみるもんです。
おもしろい。
今回時間的に着いたのが夕方で、17時にだいたい展示会は終わるみたいで、今回は自転車で島を1周回ってみました。
ちょっと待ってくださいその前に汚ったない体を洗い流しましょう。
直島にある銭湯です。
まず銭湯から洒落てるですよね。内装もなんとも言えない世界観(何といっていいかわからないだけ)で今回はなぜかぼくが入った時間は貸切でした。
さっぱりしてから直島を自転車で回ってアートな街に触れてきました。
一応一番有名なやつだけのしておきますね。
かぼちゃアート
岡山の写真部の男の子との出会いもあり、良き直島でした。
そんなこんなしているうちに、暗くなりそうだったので直島をあとにして宇野港に到着です。
着いたのはいいものの、周りに何もないのでコンビニでヒッチハイク。
暗くなって人も少なくつかまらない。
コンビニに止まっていた1台の車に声をかけると何と倉敷まで行かれるということで倉敷まで乗せていただきました。
声をかけてみるもんですね。
ということで今日は倉敷のネットカフェで就寝します。
今日もいい出会い!
ありがとうございました。
最後は
トガアキのこんがりベトナム風仕立て、ちちくりあうカップルを添えて。でお別れしましょう
乗せていただいた車3台
出費
フェリー代合計810円
パン300円
自転車レンタル代1500円
ネットカフェ代2000円
やばい今日は使いすぎた、節約せねば。。。
スマイル10人
いよいよ終わりが近ずいてきました。
ほんならまた!!
東日本縦断ヒッチハイク16日目【大阪〜兵庫】#16 大ブレーキ
ども期間内に島根に帰れるか不安になってきたトガアキです。
昨日大阪についてゆっくりしたんで、今日は一気に四国入りじゃーー!って息巻いてたんですが、、、
関連記事→東日本縦断ヒッチハイク15日目【三重〜奈良〜大阪】#15 四国も行きますか
今日は豊中市からスタートです。
靴下を洗っても洗ってもくさいなーって最近思っていたんですよ。
なんでかな〜なんでかな〜怖いな〜怖いな〜と思っていたんです!
するとドン!!!
靴の中がくせーんですわ。
ということで昨日は靴も洗って気分よくスタートしました。
モノレール少路駅の近くのコンビニまで行き、9時過ぎにヒッチハイクを開始。
車の通りはめちゃくちゃ多いですね。
とりあえず高速に乗ってサービスエリアに下ろしてもらうために、一番近くのサービスエリアの名塩を目指すことに。
おにぎりをほうばりながら今日は香川までいってうどんを食べようと作戦を練って名塩の文字をボードに書いて始めたはいいもののなかなか拾えません。
1時間ほど経って日差しが強いのでコンビニの屋根で休憩していると「名塩ってどこ?」と聞かれたので、場所を言うと仕事に行く時の通り道ということで乗していただけることに。
こういうパターン意外とあります。笑
やっぱりおっちゃんは良く乗してくれる。
短い距離でしたがありがとうございました。
名塩のSAでのヒッチハイクも30分くらいで姫路城に行かれるという女性の方が声をかけてくださり、垂水PAまで乗せていただけることに。
ここで問題発生。まさかの車が土足厳禁。女子席に乗って靴を脱ぐ。
昨日洗ったとはいえ、匂い大丈夫か!!だいたい靴脱いだ時に匂いってわかりますよね?
なんとか昨日洗ったおかげで大丈夫でした。洗っていなかったら車内は悲惨になっていたこと間違いなしです。笑
遠回りまでしてもらってありがとうございます。
遅めのGW楽しんできてください!!
垂水に2時過ぎに着いたんですけど、そこから四国はすぐだろうと思っていたんですが、なかなか四国のナンバーの車がいない!
ここからーーーーーーーーーーーー
こう!!!!
気づけばもう夜です。笑
今日は四国まで行けると思っていたんですが、この垂水という場所は四国に行く人はあまり通らないみたいです。
時間内に島根に帰って来れるか心配になってきました。
今日は垂水で野宿です。
明日こそ四国いりしますよ!!!
今日も乗せていただいた方ありがとうございました。
乗せていただいた車2台
出費
パン150円
お茶150円
パスタ500円
スマイル2人
ほんならまた!!
【東日本大震災】6年経った東北の今
どうもトガログのトガアキです。
忘れもしない2011年3月11日。
当時高校の野球部に所属していたぼくは部活から帰りテレビをつけるとそこにはにわかには信じられない光景が広がっていたことを今でも鮮明に覚えている。
津波に呑まれる車、住宅、人、目を覆いたくなるものだった。
日本海側の島根県の地に住んでいたぼくにとってそれはメディアを通してしか確認することができなかった。
揺れもなく、もちろん津波など来ていない島根にいたため同じ日本で起きていることだとは思えなかった。
今回そんな東日本大震災で被害大きかった岩手、宮城、福島に訪れた。
岩手県宮古市
岩手では去年の8月。台風による被害も甚大なものでした。
東日本大震災、去年の台風で被害に遭われたあゆみさんにお話を聞く機会がありました。
連れて行っていただいた震災メモリアルパーク中の浜。
この場所はもともとキャンプ場があった場所であゆみさんも来ることがあった場所とのこと。
震災当時のトイレが今も尚残されていて、津波の被害、脅威がどれほどのものだったかが肌で感じ取れる。
キャンプ場を上から見下ろすことができる場所に移動し、上から見る。そこには津波が押し寄せてきた時の最高到達地点が示してあった。
画面左にある青い線が到達地点。
階段を上がったところに位置する場所なので高い場所にはあるが、写真からわかる通りものすごい高さまで津波が来たのがわかる。
あゆみさんは2016年8月の台風の被害で家の一階部分がすべて浸水した。
1年たった今でもその家に住んでおられる。話を聞いていて思うのはとてつもなく明るいということ。子供達も初めてあったぼくに人見知りもせず元気いっぱいに話しかけてくる。
「過去のことを振り返っていてもしょうがない。」
そうおっしゃるあゆみさんの言葉に力強さを感じる。
底知れず明るいあゆみさん家族にぼくは元気をもらった。
岩手県山田町、大槌町
石巻の方に南下している時に山田町の方とお話をした。
今も奥さん、子供2人は内陸の方に住んでいるとのこと。月に1、2回会うことができればいい方だそう。それが子供のためにはいいと思う。ぼくが我慢すればいいだけの話。そうお話をされていた。
被災した時に本当にたくさんの人に助けていただいたから被災地にこられた方には何かして恩返しをするともいっておられた。
もちろん怒りの声も聞いた。国の上の人は本当に被災地を見ているのか?全く信用ならないとおっしゃっていた。メディアなんて操作されていてちゃんとした真実なんて放送しないからと。
山田町も震災の津波、その後の火災で被害を受けた。当時の話を聞いてぼくは正直なんといっていいかわからなかった。というより安易に言葉を発するのためらう。ぼくには想像できないから。
風化させないために今回はこういう記事を書かせていただいています。
大槌町の母ちゃん
大槌町にはみんなから母ちゃんと呼ばれている方がいる。
八幡さんだ。
自身も東日本大震災の被災者でもあり、支援者でもある。
このファミリーショップやはたも6年前、1階は津波で全部水に浸かった。
それにもかかわらず3ヶ月後には店を再びオープンさせ、今まで続けておられる。
被災地にボランティアに来た人のために自宅も改築し、泊まることができるようにされてご飯と宿を無料で提供されている。
そんな八幡さんは今でもボランティアで朝から15〜20㎏の米を毎日炊き、幼稚園の子供や作業する方のために弁当を作られているとのこと。
毎朝3時に起きて炊き出しをして、ぼくの訪れた日なんて深夜0時30分に起きられるということでした。
「若いから寝なくてもいけるね〜」と笑いながら語る八幡さん。まだまだぼくたち20代は動かないといけないなと再認識した。
八幡さんを見て、被災地の人々を見て、本当に元気をもらった。
誰かのために1000万円の借金をして自宅を改装までして人を助ける。人としての大きさを感じる。
被災された時の生々しい話を聞かせてもらっていたが、やはり言葉を失う。体はあるが首から上がない方がいたり、津波後の火災で灰になるまで燃え切った人。
現地に行ったことで感じること、知れたこと多くの気づきがあった。
やはり「風化させてはいけない」
福島県原発付近
空気感、雰囲気がガラッと変わったのは、福島県南相馬市を過ぎたあたりからだろうか。
作業服の人が増え、一般の乗用車の数が極端に少なくなり始めた。
福島原発があった付近だ。
汚染物質を含んだ黒い入れ物が至るところに置いてある。
写真はほんの一部。
そこは車こそ通ることができるようになっているものの、バイクや人が通ることは不可能な地域。車道の左右はバリケードがしてあり、立ち入ることができないようになっている。
こういったものがずっと続いている。
正直ここが同じ日本だとは思えなかった。建物は震災当時のままで残っており、人は住めない。
復興は進んでいるとは言われているが、この地域は完全に元どおりになることはないでしょう。
何十年という歳月をかけてどう復興していくのか。
草木と民家が同化していっている町の様子を見て、もうこの地域は誰も住まないのだろうと感じた。
原発の恐ろしさを感じた。
津波の怖さ
この原発付近は車でしか通れないため、トラックの運転手の方に乗せていただいて通りましたが、その運転手の方も被災された方でした。
津波の恐ろしさについて話をしてくださったのですが、津波は10mくらい近くまでこないときていることがわからなかったそう。
砂浜の波打ち際のザザーという音がして足元に水が来た時に逃げたそうですが、それくらい津波は足音を立てずにやってくるということ。
一瞬の出来事だったそう。
6年経った被災地を訪れて
ぼくは最初にいったように震災があった当時、地震もなければ津波もなかった島根にいた。
メディアの情報だけではわからないことがたくさんあり、自分の目でみて、耳で感じた被災地。
復興はまだまだ進んでいない。
苦しむ人はまだまだたくさんいる。
家に帰れない人。家族と会えない人。当たり前のことが当たり前じゃない、そう強く思った被災地でした。
風化させてはいけない。
6年経った今の東北を少しでも伝えることができればいいと思います。
もし、この記事を読んで気分を害してしまったらすいません。
身近な問題として、みなさんが考えるきっかけになればと思います。
ありがとうございました。